やっせんぼオヤジは進化してしまったのだ

BABYMETALに骨抜きにされたオヤジの綴るブログです。

反「最新が最高」説

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いよいよ今週から米国ツアーが始まりますね。

もうわくわくして仕事になりませんが、普通なら憂鬱なGW明けの1週間がこんな彩りのある時間になるんですから、本当に感謝です。

ダークとかライトとか7とか10とか時空とか、なんか色々有りますが、これまでの傾向を考慮すると「なんじゃ、これ?」という肩透かし感満点なオチだと思っています。まぁそう思う方が気楽ですしね。

とりあえず私は「シンコペを演るのか?」というちっちゃな注目点を持って、待っています。

 

と、そんなこんなで、今回の公演もこれまでを上回るクオリティを観せてくれると思います。てかそれだけでも凄いことなんですが、常々思っていた、そして私も当然のように使っていたワード 「最新が最高!」について反論というか考察をして見たいと思います。

 

「最新が最高」

これは勿論まぎれもない事実ですし、真実だと思います。でも、そうだとすると、過去のものは古びた陳腐なものになっていくはずですが、全然そんなことないですよね。

つまりはそういうことを言いたいだけなのですが、やはりソニスフィアは涙ぐむし、ロンドンTheFORUMはいつ見ても最高であり、メトロックも最高だし、Wembley にはいつも感動する。

「全部が最高」なのである。

なんてことで文章終わったらあふぉみたいなので、もうちょっと書きますね。

 

なぜ、「最新が最高」なのにもかかわらず、「全部が最高」というパラドックスが違和感なく存在するのか?

結論からいうと「その時点での最高傑作を演っているから」ていう事かなぁと思うわけです。

その時期にしか出せない歌声とダンスと演奏がある。

メトロックの子鹿のような躍動感のあるダンスはあの頃だからこそであるし、ソニスの緊張感と達成感は二度と味わえない。ダウンロードUKのKARATEの征服感(?)も。

紅月やNRNRは、いつのバージョンのでも何回でもリフレインして聴く。当然飽きないし、それぞれの味わいを楽しめる。

 

その時点での最高を出そうと一生懸命パフォーマンスしている事と、それにまつわる背景を理解して観る・聴く。それにより「全てが最高」となるんだ、と書いてみたが、実は上記の後者もさほど重要ではないのかもしれない。

というのは、海外のリアクターの映像をYouTubeなどでよく観るんだけど(映像としては武道館かソニスかダウンロードかドーム)、みんな最初はよく喋ってるんだけど、曲の途中から喋らなくなり画面を食い入るように観る(リアクターなのにw)、んでその動画を見ているおいらもいつのまにか動画の中の動画(つまりはライブ映像)に没頭して、リアクターがリアクションしてない事も気付かない、なんて状態になる。

つまりは背景なんか知らなくても、過去の映像でも、魅せられるという吸引力。

うーん、「その時点での最高を一生懸命パフォーマンスしているから」説だけでは既出感満載なんだけど、それにドラマ性も加わるんだから無敵ですよね。武道館でゆいちゃん落ちちゃったとか、イヤモニ聞こえないとか、マイクがないとか、病欠とか、そんなん知ったらもうね。

「それがメイトなんだ!」

いや流石に、これじゃまとまらんか。 でもね、アルバム2枚ぽっきりの楽曲を何百回も聴いて、飽きないどころか感動したり涙ぐんだりするアーティストに出会えたことに、本当に感謝しています。

そして、仲間も増えて共感しあえる。

最高かよ!

(んにゃ?結論がおかしくなったようだけど、まぁいいか)